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東京地方裁判所 昭和45年(ワ)7778号 判決

原告 ハナ子こと 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 内藤功

同 加藤雅友

同 岡村親宜

同 小林良明

被告 倉光一郎

同 国

右代表者法務大臣 福田一

右指定代理人 菊地健治

〈ほか二名〉

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

1  被告らは原告に対し、各自金一〇〇〇万一九三四円及びこれに対する昭和四五年八月二九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言。

二  被告両名

1  主文同旨の判決。

2  担保を条件とする仮執行免脱宣言。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  本件被害の発生

原告は明治三〇年一月生まれの女性であるが、昭和三八年四月下旬ころから長期にわたる下痢に悩み、全身衰弱が進行していたため、同年八月二三日、国立東京第二病院内科外来において野並副院長の診察を受けたうえ、被告国との間で、被告国の経営する同国立病院において、同病院の医師が原告の胃腸の精密検査をなし、かつ全身衰弱を回復させるための医療行為を行う旨の診療契約を結び、同月二七日同病院に入院し、同年九月六日同病院において直腸鏡検査(以下原告に対して実施された直腸鏡検査を本件検査という)を受けた。本件検査は、右病院の医師で検査科長であり、かつ原告の主治医でもあった被告倉光一郎(以下被告倉光という)の指示により訴外木村忠医師(以下木村医師という)が担当したものであるが、原告は本件検査の翌日である同月七日から右足下部に麻痺を生じ、漸次両足とも麻痺するに至った。

その後、原告は右病院の理学療法士訴外島倉忠行による「リハビリテーション」(マッサージなどによる更生指導)を継続実施中の同年一〇月一七日同病院を退院したが、退院後も同理学療法士によるリハビリテーションを継続し、更に高良興生院、東大病院、大脇病院における入院診療、鹿教湯療養院における温泉療養等を受けてきた。しかし、原告の両足の麻痺は回復せず、現在なお歩行は著しく困難であり、身体障害者手帳二級(常時付添を要する)に該当する両下肢機能障害を有している。

2  因果関係

原告の両下肢機能障害は左記(一)の第一二胸椎圧迫骨折及び左記(二)の不安・恐怖感がその原因となって発生し、更に左記(三)の不適切な処置のため悪化したものである。

(一) 前記のとおり、木村医師は直腸鏡を挿入する本件検査を実施したが、その際原告の第一二胸権を圧迫し、同胸権に骨折を生ぜしめた。

(二) 原告は、神経質な性格で環境の変化に対する適応力に欠け、かつ、アレルギー体質でもあることから、かねてより手術に対しては強い恐怖感を抱いていた。しかも、前記国立東京第二病院入院前一か月間は減食を続けていたため本件検査時には肉体的にも甚しく衰弱していた。したがって、当時原告は本件検査を受け得る状態にはなかった。

ところが、被告倉光は、木村医師をして本件検査を実施させたのみならず、その実施前に原告に対して右検査に関する説明を何ら行わず、しかも、木村医師は原告の身体を、「逆立ち」の体位でベルトで固定し、直腸に空気を入れたうえで鋭利な金属性の直腸鏡を挿入して検査を行なった。そのため、原告に対して腹部膨満・嘔吐などの肉体的苦痛と共に強い不安・恐怖感を与えた。

(3) 被告倉光は、原告に前記麻痺症状が発生したのに拘らず、その後約三週間、原告の脊髄液を採出して検査をし適切な処置をとることなどを行わないまま放置した。

3  責任原因

(一) 被告倉光の責任―不法行為責任

(1) 被告倉光は本件検査に先立って腸透視を実施したが、その実施にあたっては、腸透視の前夜、当日朝、施行直前の三回にわたって浣腸を実施し、腸内に糞塊が残らぬようにすべき義務があるのにこれを怠り、施行直前一回の浣腸しか行なわずに腸透視をなしたため、下行結腸に残存した糞塊をもって腸の狭窄と見誤った過失により、本来不必要な本件検査がなされた。

(2) 被告倉光は、原告の主治医として、前記2(二)のような原告の性格、体質、衰弱状態等を把握していたのであるから、原告に対する本件検査の実施を避けるべき義務があるのにこれを怠り、木村医師に本件検査を実施させた過失がある。

(3) 前記(2)記載のとおり、被告倉光は、原告の精神的、肉体的状態を把握していたのであるから、本件検査を実施するにあたっては、原告に対し、事前に充分な説明を行い、不安を解消すべき義務があるのにこれを怠り、何らの説明もなさずに漫然木村医師に右検査を指示した過失がある。

(4) 本件検査後、原告には前記のような麻痺症状が現われたのであるから、被告倉光は主治医として、その原因を知るために直ちに原告の脊髄液を採出して検査し、適切な処置をなすべき義務があるのにこれを怠り、原告に麻痺が生じて以後約三週間何ら適切な処置をとらず放置した過失がある。

(二) 被告国の責任―債務不履行責任

原告と被告国との間には1記載のとおりの診療契約が結ばれているのであるから、被告国としては右契約に基づき原告に対し、適切な精密検査をなし、かつ全身衰弱を回復させるための適切な医療行為をなすべき義務があるのにこれを怠り、前記のとおり原告に対し本来実施すべきではない本件検査を実施し、あるいは不適切な方法で右検査を実施し、よって原告に対し両下肢機能障害を発生させ、しかも右機能障害発生後約三週間適切な処置をとらず放置してその障害を悪化させたものである。

4  損害

原告は被告らの右不法行為又は債務不履行により別紙記載のとおり合計七〇〇万一九三四円の財産的損害を被った。

また、原告の前記のような身体的障害に対する慰藉料は三〇〇万円が相当である。

5  よって、原告は被告倉光に対しては不法行為責任に基づき、被告国に対しては債務不履行責任に基づき、各自損害賠償として一〇〇〇万一九三四円並びにこれに対する本件訴状が被告らに送達された日の翌日である昭和四五年八月二九日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否(被告両名)

1  請求原因1中、原告が明治三〇年一月生まれの女性であり、昭和三八年八月二三日、国立東京第二病院内科外来において、野並副院長の診察を受けたうえ被告国との間で診療契約を結び、同月二七日国立東京第二病院に入院したこと、同病院において本件検査を受けたこと(ただし、日時は、九月六日ではなく、九月二日である。)、本件検査は同病院の医師で研究検査科長であった被告倉光の指示により木村医師が担当して実施したこと、原告が同病院の理学療法士による理学療法を継続実施中の同年一〇月一七日同病院を退院したことは認めるが、同年九月七日から原告の右足下部に麻痺が生じ、漸次両足とも麻痺したことは否認し、その余は不知。

原告は昭和三八年九月二日に本件検査を受けた後、同月六日膀胱炎により発熱するまで何ら下肢の変調を訴えなかったが、同六日発熱し食欲不振、嘔気、疲労感、腹部膨満感、両下肢脱力感、腰痛あるいは全身の神経痛様疼痛を不定的に訴えるようになり、同月一六日腰痛、特に仙骨部に痛みを訴え、さらに同月一八日に至り、「下半身に力が全然入らず、腰が抜けたようだ。」と訴えるようになり自動運動はきわめて困難な様子であったが、被告倉光が極力両下肢の自動運動を勧めるなどしたところ、同年一〇月に入り次第に自力歩行も可能となり、手押車により病棟廊下の歩行などが行えるようになって同月一七日退院したものである。

2  請求原因2本文は争う。原告の歩行不能は原告の精神的特性に基づくもので、心因性のものである。原告は、国立東京第二病院退院後、昭和四〇年七月一三日から同年九月三〇日まで東京大学医学部附属病院上田内科に入院したが、その際既往歴として、昭和二年に分娩時腰骨の一部を痛め、一六年位左半身の冷感、神経痛があったこと、昭和二九年と昭和三一年には躁うつ病状態で電気ショック療法を受けたことがあり、昭和三一年には自殺を企てたことがあるなど申し出て、担当医師から精神状態は「躁うつ病、ヒステリー性性格」であると診断されている。また同病院の上田教授も「精神科へ廻したらどうか」との意見を出し、原告の著しい精神的特性を指摘している。そこで、原告は国立東京第二病院入院時にも右のような精神的特性を有していたと考えられるが、加うるに当時原告の子息夫妻が原告の孫を伴って数年の予定で渡米することとなったため、特に溺愛していた孫との別れを歎き悲しみ、そのため不眠や感情の動揺、時ならぬ涕泣という精神反応病態化の症状を生じていた。また、原告には当時、変形性脊椎症が認められたが、この病気の臨床症状はきわめて複雑な様相を呈し、脊腰痛、下肢の緊張、疲労感、時に座骨神経痛様の疼痛が発生し、これら自覚症状は慢性に推移するものである。従って、原告の歩行障害は、息子や孫らの渡米時期が近づくにつれ、精神反応病態化が、変形性脊椎症の諸症状に誘発されて身体反応病態化となって顕現したものと推測される。

請求原因2(一)ないし(三)の認否は左記(一)ないし(三)のとおりである。

(一) 請求原因2(一)は争う。木村医師は肛門から約一五センチメートルの位置まで直腸鏡を挿入した時点で検査を中止したものであるが、この場合、直腸鏡の先端は直腸S字状結腸移行部付近にあり、個人差を考慮しても、仙骨胛部から下部腰椎の高さにとどまり、第一二胸椎に直腸鏡が達することはありえない。原告は国立東京第二病院入院中にも骨多孔症(脊椎骨粗鬆症)を有していたが、これは、骨基質の蛋白代謝障害によって発生するもので骨質が疎かつ細となり、器械的影響に対して抵抗力を減じ脆弱となった状態をいい、この症状のある場合には胸椎等の圧迫骨折は日常生活においてさしたることもなくおこりうるのであって、軽い物をもつとか、つまづくとか、指圧など僅かの外力によっても生ずるものである。従って、原告の第一二胸椎圧迫骨折は、本件検査前、特に前記の電気ショック療法によって発生した可能性も大であり、また原告の年令と歩行障害者であることとを考え合わせれば、国立東京第二病院退院後の生活中に生じた可能性も高いのである。しかも、原告の両下肢麻痺は、本件検査後直ちに現われたのではなく、検査の四日後にはじめて両下肢変調の訴えをなし、その後徐々にすすんで両下肢麻痺となる特異な進展をたどったのであって、第一二胸椎の圧迫骨折による脊髄損傷によるものとは考えられないのである。

(二) 請求原因2(二)中、本件検査の体位が少し頭側低位であり、身体の動揺を防ぐため、原告の両足をベルトで固定したことは認めるが、その余は争う。原告が右検査当時著しく衰弱していた事実はなく、右体位も異常に苦しいものではない。また、木村医師は、検査開始前原告に対し、空気の注入による圧迫感があるが恐れずに安心して検査を受けるよう充分に説明し、かつ直腸鏡挿入中も話しかけて不安感の除去に努めたものである。

(三) 請求原因2(三)中、脊髄液を採取しなかったことは認めるがその余は争う。被告倉光は、原告から麻痺の訴えがなされた後は、急性膀胱炎の治療、点滴、静脈注射、マッサージ、温浴、機能訓練等必要な処置はすべて行ない、かつ精神療法的治療を企図したから(もっとも、この治療は原告の拒否により実行できなかった。)、原告の下肢麻痺症状に対して被告倉光が適切な処置を何らなさなかったとはいえず、また原告には脳圧亢進症状はなかったから脊髄液検査の必要はなく、かえって、神経学的異常を伴わず、かつ、心因的反応の強度とみなされる原告のような患者に対して腰椎穿刺を施行することは、後遺性副作用を起す可能性がありむしろ危険である。

3(一)(1) 請求原因3(一)(1)中、本件検査に先立って注腸透視撮影を施行したことは認めるが、その余は争う。

(2) 同3(一)(2)及び(3)は争う。

(3) 同3(一)(4)中、原告の脊髄液を採取しなかったことは認めるが、その余は争う。

(二) 同3(二)中、原告と被告国との間に診療契約が結ばれたことは認めるが、その余は争う。

4  同4は争う。

三  被告らの主張

1  過失の不存在

(一) 注腸透視撮影を施行するに際してなされた浣腸にも、造影像読影にも被告倉光に過失はない。同被告は昭和三八年八月三〇日午後注腸透視撮影を施行するに際し、正午における高圧浣腸を看護婦に指示し、これを施行したところ、排便中等量が認められた。このような排便状況の場合、頑固な便秘が先行していればともかく、入院以来右同日まで日に二回ずつ便通のあった原告に対しそれ以上浣腸を行なう必要はなく、また注腸透視は肛門から造影剤を腸に逆行させるもので、仮に若干の糞便の残存があっても、なんら検査の障害にはならない。直腸鏡検査の前の浣腸は三回行なうべきだとする定式も存しない。被告倉光は、造影像読影において、レントゲン写真上、下行結腸末端部の腸壁にやや狭い感じ並びに浸潤と思われる影像を認め、悪性変化の存在を疑い、写真のみでは不分明なので直腸鏡検査を予定したものである。

(二) 原告に対し本件検査を実施したことに過失はない。本件検査当時原告の衰弱が著しい等検査を実施すべき状態にはなかったということはできず、原告の受診の事情が「生活の変化にも下痢を招来し、種々医師を訪問するも好転しない。」ということであり、その原因究明のため精密検査を求めてきたものであること、及び原告は国立東京第二病院入院時、来院以前の病気に対する異常な関心を示す手記を示したことからしても、腸内の悪性変化の疑いのある限り、直腸鏡検査によってその疑いを確実に否定できるのであれば、右検査をなして原告が病気に対して抱いていた不安感を解消する必要があったのである。

(三) 原告に対し本件検査についての説明を怠り、同人の検査に対する不安を解消させなかった過失もない。被告倉光は昭和三八年九月一日、胃・腸のレントゲン写真を原告に示し、本件検査の必要な理由を説明して原告の納得を得ていたし、検査中にも、前記のとおり木村医師により原告に対し検査の説明や不安感除去を目的とする話しかけが充分なされた。

(四) 原告の下肢麻痺症状に対する処置にも過失はない。前記のとおり、被告倉光は、原告から麻痺の訴えがなされた後は急性膀胱炎の治療、点滴、静脈注射、マッサージ、温浴等適切な処置をした。なお、脊髄液の採取検査は前記のとおり不必要なものであり、かえって危険なものである。

2  消滅時効(被告倉光)

原告の主張によれば、原告は国立東京第二病院を退院した昭和三八年一〇月一七日には原告主張のような被告倉光の過失の存在および損害の発生を了知していたものであり、本訴提起は右期日から三年以上経過してなされたものであるから、原告の損害賠償請求権は本訴提起時既に時効により消滅していたというべく、被告倉光は右消滅時効を援用する。

四  被告らの主張に対する原告の反論

1(一)  被告らの主張1(一)及び(二)は争う。

(二) 被告らの主張1(三)は争う。被告倉光から本件検査についての説明はなく、木村医師は原告が異常に苦しい体位で台に据えつけられ、両足等をベルトで締めつけられた時点ではじめて「少し空気を入れて苦しいけれども我慢して。痛ければすぐ言って。」と言ったのみであり、右木村医師の言葉は原告の不安感を除去することにはならず、かえって不安感を増す結果となった。

(三) 被告らの主張1(四)は争う。点滴については原告の夫甲野太郎が強く要求してようやく実施したものであり、マッサージ、温浴にしても原告が看護婦に何回も頼んだ結果ようやく実現したものである。

2  被告らの主張2は争う。原告が被告倉光の過失および損害の発生を確定的に了知したのは昭和四三年九月二〇日、鹿教湯療養院を退院した時であり、本訴提起時には消滅時効は完成していない。

第三証拠《省略》

理由

一  原告が明治三〇年一月生まれの女性であり、昭和三八年八月二三日国立東京第二病院内科外来において野並副院長の診察を受けたうえ被告国との間で診療契約を結び、同月二七日国立東京第二病院に入院したこと、同病院において本件検査を受けたこと、本件検査は当時同病院の医師で研究検査科長であった被告倉光の指示により木村医師が担当し実施したこと、原告が、同病院の理学療法担当者により継続して理学療法による治療を受けていた同年一〇月一七日同病院を退院したことはいずれも当事者間に争いがない。

右争いのない事実及び《証拠省略》によると次の事実が認められる。

1  原告は昭和三八年四月ころから下痢症状を呈していたが、同年夏ころから症状が悪化し、同年八月二三日国立東京第二病院内科外来を訪ね、「本来よく下痢を生ずるが、現在では少しの生活の変化にも下痢を生ずる」旨述べて野並副院長の診察を受けたうえ、同日被告国との間で、被告国の経営する同病院において同病院の医師が原告の胃・腸の精密検査を行ない下痢症状の原因を究明することを主たる目的とする診療契約を締結した。

2  原告は、同月二七日右診療契約に従って同病院に入院し、同日原告の主治医となった同病院研究検査科長被告倉光の診察を受けたが、その際同人に対し「嗄声を伴う唾液分泌過剰」「交代性下痢」などの症状を訴えた。

3  そこで、被告倉光は、同日原告に対し胃透視を実施し、以後大小便の検査、血液検査、耳鼻科の検査などを順次実施し、同月三〇日には腸透視を実施した。そして、同被告は右腸透視の結果直腸鏡検査の必要性を認め、同病院外科担当の木村医師に対し原告の直腸鏡検査を依頼し、同医師は同年九月二日原告に対して本件検査を実施した。なお、原告が国立東京第二病院に入院していた間、原告に対して直腸鏡検査がなされたのは本件検査の一回限りであった(原告は昭和三八年九月六日に本件検査が実施されたと主張しているが、本件検査の実施されたのは右に認定したとおり同月二日であり、同月六日ではないことが明らかである。)。

4  本件検査後数日間、原告は被告倉光や同病院看護婦に対し、腹部の膨満感や疲労感などを訴えるのみで下肢の麻痺症状の訴えをすることはなかったところ、同月六日午後から発熱し、身体の諸所に不規則な疼痛を覚える旨訴え、同日深夜に至り腰部から下肢にかけての倦怠感を強く訴えた。

5  その後、原告は、断続的に下肢の倦怠感や的身全の倦怠感を訴えていたが 同月一四日には左下肢のしびれ感、下肢痛を訴え、同月一八日には下肢が思う様に動かなくなったと訴えるようになり、同月二〇日には、右足の不全麻痺様症状が発生した。その後時を経ずして麻痺は両下肢におよび、ついにはベッドに寝ていても自力では両足とも動かすことのできない状態となり、下肢の知覚も鈍麻した。

6  そこで、被告倉光は、前記島倉忠行に原告に対する理学療法による治療を指示し、右島倉は原告に対し両下肢のマッサージ、他動運動、温浴などの治療をなした結果、原告は、ベッド上で足を伸ばしたまま四五度から五〇度くらい開き(外展)、開いた位置から寄せる(内展)こと及び膝を四五度くらい曲げ(屈曲)、その位置から伸ばす(伸展)ことなどができるようになり、椅子に掛けた位置から歩行器につかまって起立練習を行なう程度にまで回復し、同年一〇月一七日同病院を退院した。

7  その後、原告は継続して前記島倉による治療を受け、昭和三九年三月ころから同年初秋ころまでの間には歩行器で五〇メートル程度歩くことができるようになり、一本の杖を使用して芝生の上を一〇メートル位歩く練習をすることもできるようになり、更には一人で杖をついて便所に行くことも再再の状態になった。

8  しかし、その後痛みを中心とした下肢のしびれ感などの知覚障害、運動障害が再発し、東京大学附属病院上田内科などにおいて入院治療等を受けたが、症状はある程度までの改善・悪化をくり返し、昭和四二年一二月二日東京都から身体障害者等級表の二級と認定されて身体障害者手帳を交付され、現在も両下肢に脊髄性と考えられる痙性麻痺による下肢の機能障害を有している。

以上のとおり認められ(る)。《証拠判断省略》

二  次に、原告は、原告の右両下肢機能障害は本件検査によって発生し、発生後における被告倉光の不適切な処置から右機能障害が悪化したと主張するのでこの点について判断する。

1  まず、原告は本件検査により原告の第一二胸椎圧迫骨折が発生し、それが両下肢機能障害の原因になったと主張するのでこれを検討する。

鑑定人森崎直木の鑑定の結果によると、本件検査後である昭和四〇年七月一四日に東京大学附属病院において撮影された原告のレントゲン写真には第一二胸椎の圧迫骨折の最も典型的な所見が認められ、従って同日までに原告の第一二胸椎の圧迫骨折が発生したことが認められる。他方、右鑑定の結果および《証拠省略》によると本件検査においては、直腸鏡の先端は肛門から約一五センチメートルの位置すなわち直腸S字状結腸移行部付近に達したにすぎず、個人差を考慮してもそれは仙骨胛部から下部腰骨の高さにとどまり第一二胸椎にまで達することはあり得ないのであり、しかも通常直腸鏡検査により第一二胸椎の圧迫骨折が発生するとは考えられないものであることが認められ、他方原告は国立東京第二病院入院時より脊椎骨に骨多孔症(骨粗鬆症ともいい、骨が脆弱化する症状を呈し、概ね五〇歳を過ぎた女性にはしばしばみられる)を有していたこと、骨多孔症の症状を有する場合は本人が気付かない程度の圧迫でも圧迫骨折を生じうること、国立東京第二病院において本件検査前である昭和三八年八月二七日に撮影された原告のレントゲン写真でも第一二胸椎の圧迫骨折らしい所見が認められること、昭和五一年二月二四日撮影された原告のレントゲン写真では更に第一一胸椎、第三腰椎に骨折が認められること以上の事実が認められる。これらの事実に原告が明治三〇年一月生まれの女性であり本件検査当時満六六歳であったことをも合わせ考えると、原告の第一二胸椎圧迫骨折は既に本件検査以前に生じていたと断ずることはできないにしてもそのように推認し得る余地が十分にあるのであり、従って少くとも右骨折が、本件検査によって生じたものと認めることは困難である。

更に、前記各証拠によると、一般的に脊髄圧迫骨折が、その部位において脊髄の損傷を生じさせる可能性はあるが、骨多孔症を原因とする圧迫骨折の場合はその可能性は殆んどないこと、脊髄圧迫骨折により脊髄に損傷を生じた場合は運動系だけでなく、知覚系にも脊髄節に一致して知覚障害を伴うことが通常で、しかも外傷の機転があればその時点から脊髄症状が起るべきものと考えられること、しかるに、原告が下肢の異常を初めて訴えたのは本件検査直後ではなくその四日後であり、原告が異常を訴えた後である昭和三八年九月一二日、一四日、一六日、一七日に実施された膝蓋腱反射の検査結果は正常で病的反射は出ておらず、東京大学附属病院等における脊髄液所見も正常でしかも原告の鑑定時(昭和五一年二月二四日)における症状においても主として運動系を主とした脊髄症状とみられること、両下肢脊髄性機能障害が、第一二胸椎の圧迫骨折による脊髄損傷を原因として発生する可能性は医学常識上も極めて少ないことの各事実が認められこれらの点を総合すると、本件検査によって原告に右胸椎骨折が生じたとしても、これによって原告の両下肢の機能障害が生じたものとも認め難い。

以上のとおりであって、本件検査と原告の第一二胸椎圧迫骨折との間の因果関係及び同骨折と原告の両下肢機能障害との間の因果関係はいずれも認めることができない。そして、右に検討した証拠の他に右因果関係を認めるに足りる証拠はない。

2  次に、原告は本件検査における強い不安恐怖感が両下肢麻痺を発生させたと主張するのでこの点について判断する。

本件検査において原告の身体の動揺を防ぐため原告の両足がベルトで固定されたことは当事者間に争いがない。原告は右検査時「逆立ち」の状態で固定されたと主張するが《証拠省略》によると、やや頭側が低位になる状態で仰臥させたもので「逆立ち」の状態とは認められない。《証拠省略》によると、原告はかつてヒステリー症状を呈し、自殺をはかったこともあるなど神経質な性格の持ち主であるうえに国立東京第二病院入院前一か月間は下痢症状を呈し体力的にも多少衰弱していたことが認められるが、更に前記各証拠によると、原告は入院時中程度の栄養状態であり、本件検査に支障をきたすほど体力的に衰弱していたとも言えないこと、原告は本件検査以前にも盲腸、腸、痔などの手術を受けた経験があり、本件検査に限って恐怖を感じるような特段の事由は存しなかったこと、検査に当った木村医師は、原告に対し本件検査前「検査の必要上腸の中に空気を入れるので腹がはるとかあるいは痛みがある」旨説明し、本件検査中も、「痛いんですか、苦しいんですか。苦しいんならがまんして下さい。痛いんならすぐ言いなさい。」と何度も話しかけ、原告も「痛くありません。苦しいんです。」と何度も答えていたこと、以上の各事実が認められる。

右事実に前認定の、原告が下肢の異常を初めて訴えたのが本件検査の四日後であることを合わせ考えると、前記原告の精神的、肉体的状態を考慮してもなお、本件検査による不安・恐怖感によって原告の右両下肢機能障害が生じたものと認めることはできず、その他本件全証拠によってもそれを認めるに足りない。

3  最後に、原告は両下肢麻痺が生じた後における被告倉光の処置の不適切であったことにより麻痺状態が悪化したと主張するのでこれを判断する。

原告が、下肢の異常を訴えてから、昭和三八年一〇月一七日に国立東京第二病院を退院するまでの間、被告倉光が原告の脊髄液を採出して検査したことのなかったことは当事者間に争いがない。また、《証拠省略》及び前記一4ないし7で認定した事実によると、被告倉光は原告が昭和三八年九月六日深夜から下肢の倦怠感を訴えはじめ、同月一四日には左下肢のしびれ感を訴えたことを知りながら、下肢の治療としては特別な処置は施さず、同月一八日を過ぎたころから、原告に自動運動を勧めたり、理学療法による治療を指示したりして下肢の治療を目的とする処置をとりはじめたことが認められる。しかしながら、更に前記各証拠及び鑑定人森崎直木の鑑定の結果によると被告倉光は同月一二日、一四日、一六日、一七日と原告の膝蓋腱反射検査をなし、病的反射のないことを確認し、また原告に脳圧亢進症状のないことをも確認したうえで、原告の心因的反応が強度であることも考慮し、脊髄液検査をなさなかったものであること、原告の両下肢の機能障害は脊髄損傷によって起されたものとは考え難く、東京大学附属病院等における脊髄液所見も正常であったこと、同月一八日ころまでの原告の訴えは下肢の倦怠感・麻痺感のみではなく、胃腸の膨満感、全身倦怠感、胃部痛、下腹部痛、腰部痛、全身痛などの訴えを含んだ不定のもので、被告倉光はこれらの症状に対し、ぶどう糖やビタミンの注射をするなどの処置をとり、同月一八日に原告から下肢が思うように動かなくなった旨の訴えがされてからはマッサージの依頼をするなどの処置をとっている事実が認められる。《証拠判断省略》

右事実によると、被告倉光が脊髄液検査をなしたとしても原告の両下肢機能障害の原因を発見して適切な処置をとり得たとはいいきれないのであって、その他本件全証拠によっても脊髄液検査をしなかったことと両下肢機能障害の悪化との間に因果関係を認めることはできない。

三  以上のとおりであるから、原告の指摘する、本件検査の実施が原告に生じた両下肢機能障害の原因となしたこと、及び右障害が生じた後の被告倉光の処置が右障害を悪化させたことはこれを認めるに足りる証拠がないものというべく、また全証拠を検討しても、他に、被告倉光が原告に施した診療行為中に、右機能障害を生じさせ或はこれを悪化させたと思料されるような事実は何ら認められない。

してみると、右検査を実施したことの適否等その余の点について判断するまでもなく原告の主張は理由がない。

四  よって原告の請求は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 川上正俊 裁判官 渋川満 福田剛久)

〈以下省略〉

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